しょっぱ〜〜〜いM-1論

先日、ファミ通町内会の投稿者である村主さんとM-1終了歓迎の論調で議論していたんですけど、決してオールオアナッシングなわけではないんです。
第一線の芸人が極上の緊張感の中ガチンコで行う漫才を観れる機会なんて他にないですし、単純にお祭りが無くなってしまう寂しさは感じています。
ただ全てのプロフィールにカロリー表示や消費税のごとくM-1歴がつきまとう現状には「う〜ん」というか、M-1での序列がイコールお笑いとしての序列にはならないでしょう?と。
乱暴にまとめてしまうと、「M-1が全てではない」。


村主さんとの会話で僕は「分かりやすい定規」と例えましたけど、トップオブ価値観が消滅することによって地力が試されるというか、本当にその道に携わりたい(縋ってないといられない)のか芸人(志望)の淘汰が進むのは良いことだと思います。


今年で終わらせたのはプロモーターとしてではなく漫才師としての島田紳助の最後の良心(?)なのか…。
仮に来年M-1を開催していたとしたら、審査員席に松ちゃんの姿はなかった…ような気がします。


NHKの特番で松ちゃんが「今ほどお笑いがチヤホヤされていたら自分はお笑いをやってなかったと思う」という趣旨の発言をしていましたけど、(地位を上げてしまったのは松ちゃん本人やM-1の存在だったりするのは皮肉ですけど)“合コンで「お笑いやってる」と言うと女の子の食いつきがいい” “お笑いに青春を捧げてキラリと汗をかく” お笑い界ってちょっと…どうなのよ(^^)


これからはもっと同時多発テロ的に(不謹慎)、骨太で筋肉質な狭く深いイベントを良しとする風潮になってほしいです。
道州制への移行」をイメージするとわかりやすいかも。



ハァ〜、しょっぱい、しょっぱい。
この日記を読んで不快に思う方もいるでしょうけどマクロの視点かつ主観の主観なのでご勘弁(^^)
どうせ僕なんて投稿者みたいなうんこですから投稿だけしてればいいのにね。


余談ですけど僕はガリガリガリクソンとろサーモン久保田、どぶろっくなんかの、世間から白い目で見られる系の下衆な笑いが大好きです(^^)
ただ僕は天性のぁまのじゃくなのであらびきスターが反体制から体制になったら距離を置くんでしょうけど(^^)
矛盾してますね。